それは再生してから音が鳴り始めるまでの5秒間の沈黙だ。
なぜか。まずはエンジニアリングの観点から述べよう。音楽を作るまでのプロセスは端的に次のように言えると思う。
1.作曲
2.レコーディング
3.ミックス
4.マスタリング
タイトルにある5秒間は最終工程である4のマスタリングによって決定される。まずそういう背景がある。
そしてセールスの観点から述べる。最も基本的な購買の流れは次のようになる。
1.ある媒体によってあるアーティストまたはアルバムの存在を知る
2.購入する。
実は1と2の間に、購入者とアーティストとの関係性により、アクションは分岐する。
例えば次のように。
1.ファンなので視聴せずに買う。
2.視聴して買う。
問題は、「視聴する」に分岐したリスナーに対しての音楽業界のアプローチにある。例えばTOWER RECORDSでの購買体験を想像してほしい。すなわち視聴である。現代人は忙しい。聴くべき音楽は山ほどある。競合がYoutubeという時代だ。そうした前提に立った上で、視聴機のヘッドフォンから流れてくる音は次のような音である。
1.CD自体の音量がそもそも大きい。
2.わかりやすいように音に過度な色付けがなされている。
理由はシンプルで、売り手側からすれば、開始10秒以内にリスナーの心を掴む必要があるからだ。不思議と音が大きい方が、カッコ良く聞こえるし、ジャンルにもよるがドンシャリは、迫力があるように聞こえる。
その背景として、エンジニアリングの領域にも次のことが起こっている。
1.音圧戦争というギリギリまでCDに音量を詰め込む無為な争いがもう何年も続いている。(15年前の音源聴き比べてみてほしい、違いは明らかだ。)
2.結果として、音楽的豊かさの一因であるダイナミクスが失われた作品が多い。(ダイナミクスを平たく言うと音の奥行きと広がりである。)
このセールスとエンジニアリングのアプローチに抗っている硬派なレーベルがある。言わずもがな、ECM Recordsである。音を止めることには、勇気がいる。音を鳴らしてメシを食う業界なわけだ。音が鳴らない、は事故に等しい。
でもそれをやる。「沈黙の次に最も美しい音楽」というコンセプトとしての無音(≒ 沈黙)以上に、すぐに再生されない無音に込められた密やかな反骨精神が、私を惹きつけてやまない。(ちなみにこの無音の数秒間は、レコードに針を乗せて再生にまでにかかる時間、音がで始める前の手続きをデジタルで表現しているのではないか、という仮説を私は持っているがいかがだろうか。つまり現代では「失われてしまった時間」とも言える。)
最後に私的視聴体験を述べよう。
1.再生する。
2.しばし待つ。
3.無音が私のスイッチとなり、私は目を瞑る。
4.沈黙を優しく切り裂く1音目が鳴る。
そして私はECM Recordsの透明な音の世界に包まれる。
全てを忘れて。