365日、1日1枚ECM Recordsの作品を聴き続けてきた

遡ることちょうど一年前の今日、365日、1日1枚ECM Records (ECM レコード)の音源をレビューをするというプロジェクトを始めた。

それが昨日、終わった。

きっかけは些細であった。(始まりはいつもひょんな形で始まるものだ。)しかし始まってしまえば、途端いそれに熱中した。とても長い道のりだった。言葉を変えれば、このプロジェクトは旅のようなものであった。それは新たな人、風景との出会い、そして新たな発見に満ちた旅であった。丸一年間もの間、私の生活におけるあらゆる場所で、ECM Recordsが鳴り響いていた。

その過程では、音楽(と自分の感じたこと)を言語化することの難しさにぶつかり、はたまた自身の語彙の少なさに驚愕した。(しまいには思ったことを、思ったままに書くことになる。いわゆる思考のダダ漏れである)あるいは、仕事の繁忙によって時間との戦いになったことも、忙しく更新が滞ったこともあった。しかし、なんとかかんとか、やり遂げ、昨日を迎えた。

自分に問うてみる。

旅はここで終わったのだろうか。

否、である。

プロジェクトは終わり、しかして旅は続く。

人がいる限り、音楽は鳴り止むことを知らないからである。そしてECM Recordsは「過ぎ去る音楽」ではなく「そこに留まる音楽」であり、また「味わう音楽」でもある、というのが今回の旅で持ち帰ってきたECM Recordsの姿である。

したがって1日1枚という聴き方はECM Recordsにふさわしくないのでは、という想いと次々と現れる新たな音との出会いに日々夢中になったという相反する想いを頂いた日々を過ごした。本プロジェクトは終わったが、もう一度残したテキストとともに聴き込んでみたいと思う。そのときにECM Records の音源たちは新たな側面を鮮やかに響かせてくれるだろう。

なぜなら良質な音楽は、求めれば応えてくれる「豊かさ」を兼ね備えている。「自由さ」と言い変えてもいいし、「包容力」と言い換えてもいいかもしれない。故に、聴き方、感じ方、あるいは聴き手の言語表現の幅や感情表現の幅など、時とともに変わるすべてを映し出す力を、音楽は持っているように思える。その素晴らしい音楽が、私をいつでも待っていてくれる、という発見こそがこの旅における最大の収穫であるように思う。

このプロジェクトの本質は、コレクションではなく、体験なのである。
「生きるという特有の苦しみを生きる」という私の実感に、実に多くの慰みと喜びを与えてくれた。

最後に。

ECM Recordsの存在と、これらの素晴らしい音源に出会えた幸運に感謝したい。このブログでランダムに取り上げた音源は、いずれも美しく、そしてなんらかの発見と学びがあった。

また、これらの充実した、贅沢な音楽体験は、家族の協力なしでは、到底叶わなかった。なぜならこのブログで取り上げた音源は全てレンタルするか購入したもののみを取り上げている。よってコストのかかるプロジェクトを暖かい目で見守ってくれた妻に感謝したい。本日より妻との元々の約束通り、改めて倹約生活に戻ることにする。(来年四月から娘が保育園へ通い始める予定なのだ。)

そして、自分のアーカイブの為に、はじめたプロジェクトだったが、世界中の人々がこのブログにアクセスしてくれた。(次第にECM Records をもっと他の人に知ってもらいたいと願うように私も変化したし、世界中の人がECM Records が好きなんだなぁ、と改めて実感した。)

これからは自分のペースとタイミングで気ままに更新していくつもりである。(上述したように、再度の全ての音源を振り返り、過去記事のテキストもアップデートしていくし、カテゴリーの整理などもまだ終わりきっていない。 特にECM関連の書籍などは特に時間をかけて読み解いていきたいし、英語、ドイツ語の記事の翻訳をしても面白いだろう。)

つまり、終わりとは常に何かの始まりである。

新たなプロジェクトが、また1年限定で今日から始まる。物事は移り変わっていくが、変わるものと変わらないものがある。少しカッコよく言えば「ECM Records と共に生きる」ことは、変わらないもののように思える。(それほどECM Records が切り開いた音楽的地平の広さと文化的な深さは、果てのないもので、この一年でECM Records と私の私的な関係は、より分かち難いものとなった。)

だから、きっとまた明日もECM Recordsの音源を聴いている。

そうして私は年を取っていく。
そして、それでいいと思っている。

2017年9月1日 Tord Gustavsen Quartet ‘On Every Corner’を聴きながら

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